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ポジポジ

素敵なニュースの掛け流し。

パラリンピックの「パラ」の意味 障害者の苦難と希望の歴史がそこにある

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脊髄損傷が死の宣告とみなされていた時代からまだ1世紀も経っていない。第二次世界大戦前は、ほとんどの脊椎損傷者が3年以内に死亡している。そして彼らは死ぬまでの間、ほとんど世間から見放され、忘れられ、人生の敗者も同然だった。

しかし1944年、医師のルードウィッヒ・グットマンがイギリスにストーク・マンデビル病院を開業した時、変化が起こった。ナチスドイツから亡命したユダヤ人のグットマンは神経科医で、下半身不随の治療を志していた。そして、ストーク・マンデビル病院が戦争、特にD-Day(ノルマンディー上陸)で脊髄損傷を負った兵士たちを助けるための彼の本拠地となる。

www.huffingtonpost.jp